『鸚鵡のイズム』というのは自分が作った言葉ではなくて、寺田寅彦のエッセイの表題です。あ、時代的には随筆といったほうが良いですかね?ともかくまず、その語感が気に入っていたのと、その内容が自分にとって気にかかる事柄について書かれていたので印象に残っているんです。
しかしそこまで考えて行くと、人間の知識全体から自分の直接経験から得たものを引去った残りの全部は、結局同じようなものではあるまいかと思われ出した。少なくも仮りに私が机の上で例えば大根の栽培法に関する書物を五、六冊も読んで来客に講釈するか、あるいは神田へ行って労働問題に関する書物を十冊も買い込んで来て、それについて論文でも書くとすればどうだろう。つまりはヘレン・ケラーが雪景色を描き、秋の自然の色彩を叙すると同じではあるまいか。--- 『鸚鵡のイズム』 寺田寅彦
文章はこの後、「事によるとこの最後の比較は間違っているかもしれないと思う。」とツイストするんですが、そこも好きな理由です。
昔からどうも「百聞は一見にしかずだよ、君 (笑) 」とか「君、それは畳水練さ (笑) 」という物言いに抵抗があるんですね。でもやっぱり断言はできないので、「いや、まあそうかもしれんけどさ、百聞だって畳水練だってわりかし楽しいもんすよ。いかがですか?今度ご一緒に。うちの座敷で。えへへ。」なんて無駄な抵抗をしたりする。せつない。
えー、話がずれているような気がしますが、百聞&畳水練好きの人が書いている Blog です。最後に小沢健二の歌詞を自分自身への警句といたしまして、ご挨拶にかえさせていただきます。よろしくどーぞ。
ありとあらゆる種類の言葉を知って、何もいえなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!--- 『ローラースケートパーク』 小沢健二
追記 - 2008-05-01
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